最初は月数万円の積立でした。
でも、スマホの画面上で
株価が右肩上がりに伸びていくのを見た瞬間、
脳内で変な汁が出ました。
1円でも多く、
効率よく金を増やすこと。
それだけが私の価値であり、
生きがいと勝手に決めつけてしまっていました。
仕事に対する自分の力量のなさを、
私は資産残高という数字で埋めようとしていたのだと思います。
職場でどれだけ屈辱的な扱いを受けても、
画面の中の数字が増えていれば
「俺の方が勝っている」と思えました。
しかし、その執着は家計を侵食しました。
支出は私にとってすべて「損失」でした。
週末の家族の外食は資産形成を妨げる敵。
娘が欲しがる新しい服や、
学校で流行っているゲームなども、
複利を損なう「無駄なコスト」として
冷酷に切り捨てました。
「そんなことにお金を使うなら、一株でも多く買い増すべきだ」
その当時の私は本気でよく思っていることでした。
中学進学を控え、
塾の夏季講習費が必要だと言い出した娘に、
「高すぎる、自学で十分だろ」と言い放った夜。
泣きじゃくる娘の顔を見ても、
私の心は1ミリも動きませんでした。
むしろ、正しい投資判断を下した自分に酔っていたのです。
その後、当然、妻からは離婚届を突きつけられました。
「あなたが見ているのは数字だけで、私たちじゃない。もうついていけない」
話し合いの余地もありませんでした。
家を出ていく妻と娘の背中を、
私は一人で、ガランとしたリビングから見送りました。
ガタガタと引っ越しの荷物が運び出される音を聞きながら、
それでも私は証券アプリを開いていました。
もう、病んでいたのだと思います。
離婚後、私は急速にうつ状態になりました。
誰もいない広い部屋。
積み上げた数千万の数字だけが、
暗闇の中で青白く光っている。
何のために私は家族を犠牲にしたのか。
何のために節約し、
何のために孤独になったのか。
その問いに対する答えはどこにもなく、
身も心も疲れ果てていました。
生きているという実感そのものが、
砂のように指の間からこぼれ落ちていきました。
死んで保険金に変えたほうが、
残された二人へのせめてもの償いになるんじゃないか。
誰にも助けを求めらませんでした。
ずっと決行日だけを考えていました。