14歳の時に、自分の最愛の彼女が自殺した。
彼女が自殺する数時間前に、電話で最後に会話したのは僕で、彼女の死に責任を感じてた。
数年後、親友が目の前で射殺された。(投稿者はアメリカ在住)
「自分の周りにもっとも信用、愛してる人が死んでるのに、なぜ俺も生きていかなければいけないのか」と考え始めた。
そこから、人から自分を遠ざけ、自殺に至った。
自分は最愛の彼女が自殺した後の数年間は地獄のようだった。
他人に、「君の責任じゃないよ」とか言われても、聞く耳を持たなかった。
「自分が悪いんだ」「あいつの異常に気づいてれば、助けられたかもしれない」そう思うようになった。
数年後、親友が死に、それが自殺の引き金になった。拳銃を入手し、自分の頭に向け、引き金を握り締める直前に、親父に止められた。
親父が2秒でも遅かったら、今は生きてはいないでしょう。
自殺未遂の2ヶ月後、親友を殺した犯人に復讐をし、逮捕され、少年院に送られた。そこで、親友の言ったことや自分の自殺未遂のことをじっくり考える時間が山ほどあった。服役してる間に、友人が親友が僕宛に書き残した手紙を持ってきた。その中に、自分の人生を変える言葉を発見した。「Dum Spiro pero」、ラテン語で「生きる限り、希望を持つ」って言葉だ。自分は卑怯者だと思えた。死んだ親友は、「生きたい!」と思ってたのに、僕は死にたくてしょうがなかったのが悔しかった。それから、「早く死にたい」という思いが消え、「俺は生きる!」という思いが芽生えた。
現在は学生をしながら、働いてる。自分の人生を変えた言葉を忘れないように、胸に刺青として彫り、毎日見て、気合入れてる。