大学4年生の時、未来が見えず「うつ」になりました。何をしたら良いか、わからない状態。大学を卒業しても、その不安は広がるばかり。
精神病を抱えての就職活動に全く自信が持てない状態。
いつしかネガティブな幻聴まで聞こえ、死にたくなる願望が出てきました。
「うつ」は重くなっていたと思います。
家族は心配性なので相談しにくく、きっと母に話しても、「薬を多く飲みなさい」と言われてしまうだろうな、と思い、自分の状態を言えませんでした。
こんな病気も治りそうもない、家族のお荷物、役立たずの人間なんていらないんだろうなと思っていました。でも、小さい頃からお話を考えることが好きだったので、小説家にならなれるかもしれないと思い、辞書を片手に勉強しながら本を読みあさる日々。そんなある時、姉との会話の途中で私の言葉使いが少し間違っていたらしく、「何それ日本語使ってんの?」と明らかに冷たい嫌みを私にふりかけて来たのです。「いつか小説家になる」という希望で心を癒していた私は、その瞬間、私の小説家になる夢が、消え去った気がしました。だれにも理解されない憤り。私は思わず、リストカットしてしまいました。母に傷を見せたら、「どうしてこんなことをするの!!あんたのしてることは甘えだよ!」と言われました。私のことを分かってくれていない言葉。けれども、母の様子から深い嘆きが伝わってきました。私はその時に「もう2度とリストカットはしない」と決めました。でも、リストカットをしたくなった時、苦痛を訴えても「病気だから」と、ただ心配されたり、束縛されるばかり。やり場のない怒りや悲しみが常に自分を圧迫していました。
リストカットができないので、濃いピンクのペンで、ムカついただけ自分の腕に線を引いて、遠目から見てリストカットに見える感じにしました。
そうすると、少しだけ自分の気持ちも落ち着きます。
母が見て、一瞬気にかけてくれるのも親の愛を感じられて安心しました。
また、家族に内緒で日帰りの家出?…のようなものをしました。
新幹線で東北方面に行き、会いたかった恩師を訪ねたり、森林に癒されたりしました。
日帰りだったので心配もされませんでした。
緑に触れる事で自分の心が癒されるのを発見したので、庭で花を育てる事にしました。「植物は話しかけて育てると、よく育つのですよ」と聞き、心の中で話しかけながら育てました。庭で花を育てる事により、家族も喜んでくれて、人の役に立てる実感が希望に繋がりました。今は自分が出来る立場で地球の環境に役立つ事をする、という目標を持っています。