中学時代のいじめで自殺しよう思った。けど高校に入ったら世界が180度変わっていった!
生きテク提供者
最も自分に過酷だった状況
いじめらていたのは、中学1年生から2年生のとき。
殴る、蹴るの暴行を毎日のように受けたり、
クラス全員からシカトもされていた。
時には、
給食にゴミ箱のゴミやホコリなどを入れたものを食べさせられたりした。
けんかは嫌いだったので、反撃はしなかった。
親には心配をかけたくなかった。
だから、いじめられていることを言えなかったし、
殴られてあざができていても、親には見せられなかった。
しかしあざが絶え間なくあったため、
中学2年生のとき、いじめを受けていることが親に知られてしまった。
当時、テレビのニュースなどで、
いじめによる自殺が多く報道されていたので、
心配した親に自宅学習するように勧められ、結
果6ヶ月の間、登校拒否をしていた。
学校側はいじめに対して見て見ぬ振りをしていて何もしてくれず、
親は区の教育委員会に言って
中3のときに別の学校に転校もした。
でも区内での転校だったせいか、
前の学校の生徒との繋がりがある子もいたため、
いじめこそなかったが、
いじめの噂などが広まりあまり良い思い出はなかったし、
結局なじめなかった。
どんなふうに苦しかったか?
「死んだら楽になれる」とか、
「あの世はあるのかな」と思い、
実行はしなかったが、首吊り自殺や飛び降り自殺など自殺に対して色々考えたりもした。
けど自殺をしたら親や姉弟や愛犬が悲しむと思ったから自殺はできなかった。
友達はいなかった。
いじめられていることを、誰に言ったらいいのかわからなかった。
笑顔もなく、一人で家に帰っては泣いてばかりだった。
唯一の友達は飼っていた犬だった。
小学生の頃から飼っていた愛犬のポーキーは、
いじめられてつらくて泣いているときに、
そばに寄ってきてなぐさめてくれたり支えてくれた。
自分も「多重人格になれればいいのに」と思った事もあった。
嫌な事や辛い事を忘れてしまえば嫌な記憶はなくなるし
少しはハッピーに過ごせると思ったからだ。
それくらい、つらいことが多かった。
かいけつ!「これで助かった」という方法は?
登校拒否していたとき、盲導犬のドラマを見て、
盲導犬の訓練士になりたいと思った。
幼い頃から犬が大好きだったため将来は犬と関係のある仕事につきたいと思っていた。
NHKで都立で唯一動物がいる学校がある事を知り、
畜産科のある瑞穂農芸高等学校へと進んだ。
高校に入ったら、180度違う世界だった。
地元から離れたところで、片道2時間半かけて通った。
いじめられていた過去の自分を誰も知らない新しい場所は、色々なところから集まってきた生徒ばかりだったので、
他のクラスメートも新たな出会いを求めて友達作りにはげんでいた。
そんな環境も後押しして、友達ができはじめた。
友達ができてから、明るくなった。
普通の高校と違い、作物を育てたり、
自然と触れ合ったりする授業だったため、
上下関係があまりなく先輩後輩ともに仲がよかった。
部活はサッカーをやり、いろいろ相談にのってもらったり自分ものったりしていた。
昔から内気だった自分がHR委員を2年間つとめたり、
生徒会長に立候補したこともあった。
今思えばその時は気付かなかったけど自分なりに変わろうと思っていたのかもしれない。
その後。苦境を乗り越えた今、これから何をしたい?
今考えれば、いじめられる自分にも悪いこところがあった。
当時の写真を見ると、陰うつな雰囲気が漂っていて、
「これじゃあ、いじめられるわけだな。」と自分でも思う(笑)
今では生きていれば、いいことがたくさんあると思えるようになっている。
昔から人のためになる仕事につきたいと思っていて現在は、介護士をしている。
今後、ケアマネージャーの資格を取ろうと思っている。
これからは高齢社会だし色々な福祉や医療等に貢献したいと思っている。
その中の一つとして高齢者の新しい洋服を考えたい。
着替えが楽で、おしゃれなデザインを考えたり、半身マヒの人など、
体の不自由な高齢者の体が、着替えで傷つかないような服を考えたり、
福祉の仕事でみんなの役に立ちたい。
仕事がうまくいってから、いつか家庭を持ちたいと思う。
色々な人との出会いを大切にしたいと思っているし、
もし困っている人がいたら助けたいと思っている。
生きていれば小さな事かもしれないけど
きっと良い事が訪れるし人との繋がりでハッピーになれると思う。
この生きテクを読んで、死ぬのをやめよう、もしくは生きてみようと思った
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